自己犠牲という言葉、なんとなく日本人らしくてよいような気がしてしまいますよね。
しかし自己犠牲というのは、実はする側もされる側もまったく良いことがないのです。
もちろん引き寄せの法則的にもやめた方が良いことなんです。
今回はそのあたりについてお話していきましょう。
目次
自己犠牲の精神は良いこと?
自己犠牲と聞くと、日本においてはなんとなく美徳的な感じで、どちらかというと称賛されるような傾向にある気がしませんか?
"自分のことよりも、他人のことを優先して尽くしてあげる"なんて感じで、素晴らしいと。
たしかに人のために役立ったり、他人のために協力するといったこと自体は褒められる行動だとは思います。
ですからそれについては自分も否定するつもりはありません。
しかしその中で
自分を犠牲にしてまで
というところが引っかかるんですよね。
果たしてそれで良いことがあるのでしょうか?
自己犠牲をやめた方が良い理由
なぜ自己犠牲に対して否定的なのか?
そのあたりについて説明していきましょう。
1.自己犠牲を払っても気分が良くなることはない
自己犠牲を払っている場合、まず気分が良くなることがありません。
自分を犠牲にするということが前提なので、自分にとってはマイナスなわけです。
他人のために何かしてあげているという点では、多少気分が良くなることがあるかもしれませんが、それ以上に犠牲感が強ければトータルではマイナスとなってしまいます。
気分が良くないことをしていると、当然波動も下がってしまいますし、引き寄せも起こせなくなってしまいますね。
そんなことから、引き寄せの法則的にも避けた方が良い行動となるわけです。
2.された側はそれほど感謝していないこともある
犠牲を払った方からすると"すごくいいことしてやったぞ"と思っているかもしれません。
しかしされた側からすると、意外とそれに対して感謝していないなんてこともよくあるわけですね。
やってくれて当たり前ぐらいに思われていたりとか。
そんな風だったら、あえて自分を犠牲にしてまで努力する必要はない気がしませんか?
3.見返りを求めてしまいがちになる
自分が犠牲を払って何かしてあげたという自負があると、相手から何らかの反応を期待してしまいがちなんですよね。
簡単なものだと"ありがとう"の一言から、場合によっては行為や金品などなど。
また自己犠牲を払った場合、相手に対して"やってあげた"感が強く出てしまう傾向にもあるんですよね。
しかし2.で触れたように、してもらった側はあまりそれを認識していないこともよくあるんです。
してもらって当たり前ぐらいに思われていると、犠牲を払った側が期待するような見返りが返ってこないなんてこと普通にあります。
そうなると犠牲を払った側は余計に腹が立ってきて、怒りという感情によってさらに気分が低下してしまうという、最悪の結果になってしまうこともあるんですよね。
それを察した相手側も"それだったら、あえてしてくれなくてもよかったわ"と気分が悪くなって、お互いに険悪な雰囲気になってしまうなんてことも…。
そんなことに発展してしまうぐらいなら、最初から自己犠牲なんてしないに越したことはないと思いませんか?
ザ・シークレットの中でも自己犠牲は否定されていました
先日から読んでいたザ・シークレットという本ですが、本当に良いことがたくさん書かれています。
この中でも、ちょうど"お金の秘密"や"人間関係の秘密"という章で、自己犠牲について書かれていました。
その中で書かれていたことに
与えることと犠牲になることは全く逆のこと
と書かれていました。
与えることは「充分にあります」というシグナルを発するのに対して、犠牲になることは「不足しています」というシグナルを発してしまうんだそうです。
また与えることは気分が良くなりますが、犠牲になれば先ほど触れたように気分が悪くなってしまい、いずれ怒りになって噴出してしまうとのこと。
だから心から与えることであれば、大きな喜びをもたらす行為となり、引き寄せの法則によってお金も洪水のようにもたらしてくれるという結果が待っているようです。
引き寄せに関する"お金の秘密"については、以前の記事も見てみてくださいね。
-
お金の引き寄せに関する"秘密"について
続きを見る
また自己犠牲というのは、絶対的な不足という考えに由来しているわけですね。
他人が足りない分を自分が補ってあげるということですから。
しかし実際は豊かさは宇宙から全員に準備されているものなんですよ。
だから自分が犠牲になる必要はないというわけです。
また自分が望むものを引き寄せるのは自分自身の責任なんですが、他の人のためには引き寄せることはできないのです。
だから常に自分の気持ちが良くなることを優先して、自分の波動を上げることが最も重要ということになるんですね。
それによって周りの人の心も動かすことができれば理想的ではありますよね。
つい先日あった自分の体験談
全然たいしたことではないのですが、たまたまそんな自己犠牲に関係するようなことが自分の周りでもありました。
とある日に、いつも行っているコメダ珈琲を訪れた時のことです。
(よくTwitterで投稿していますからね(^^))
1人で訪れたのですが、たまたまその日は満席で席が空くのを待っていました。
すると
店員さん「カウンター席が空きましたがよろしいですか?」
と聞かれたのでした。
この日は時間もあったし、ちょっとのんびり読書でもと思っていたんです。
でも席がいっぱいなら仕方ないかなぁと、カウンター席に座ろうかと考えたのでした。
しかし実際にその席を覗いてみると、両隣にはお客さんが座っていて、座ることになるテーブルの前には隣の人の荷物が置かれていました。
これはある意味、自分の中では環境的に最悪な場所に座らなければいけないような状況でした。
今までの自分だったら
とあきらめているところでした。
なぁんて感じで。
これも一種の自己犠牲だと思うんですよね。
人に迷惑をかけないようにして、自分の本来の希望を我慢するという状態ですから。
でもこの日はあえて
って返答してみました。
店員さんから嫌がられるかなぁとも思いましたが
店員さん「分かりましたぁ」
と思いのほかあまり気にしていないような様子でした。
よく考えてみればこちらはお客さんですから、ゆっくり読書するという目的でお店に来たのに、それを我慢する必要もないですからね。
当然といえば当然なんですが、これまではそんなところでも周りを気にし過ぎて、自分を抑え込んでいたことに気が付いたのでした。
その後しばらくしたらテーブル席が空いたので、快適な環境に落ち着くことができ、おかげでこの日はのんびりと読書もできて、一日気分良く過ごすことができたのでした。
もし我慢してカウンター席に座っていたら、きっと読書するような気にもならず、気分が悪いまま一日終わってしまっていたかもしれません。
またお店に対する印象も間違いなく悪くなっていたことでしょう。
しかしそこで勇気をもって、自己犠牲を払わないことによって、結果的に良いものを引き寄せることができたというわけです。
自分のためにも他人のためにも、自己犠牲はやめてみましょう
今回の自分の例では大した犠牲を払うようなお話でありませんでしたが、ちょっとしたことでも自分の気分って悪くなってしまいますからね。
その原因を探ってみると、意外と自己犠牲によって気分が悪くなっていることもあるかと思うんです。
特に自分のようにどちらかというと周りの目を気にしてしまいがちな人は、知らず知らずのうちにそのような傾向になっていないでしょうか?
もちろんわがままを貫くことをここで推奨するつもりはありませんが、あえて自分を抑え込んで自己犠牲を払う必要はないんじゃないかなぁと思ったので書いてみました。
自分が思っているほど、周りもそんなに気にしていなかったりしますしね。
自分を抑え込んで犠牲を払うと、先ほど書いたように相手に見返りを求めてこじれてしまうこともありますから、あえてやらない方が良いかと思います。
しかし自己犠牲ではなく
純粋に相手のためにやってあげたい
ということについては、どんどん実行する方が良いかと考えます。
自分の犠牲を払うという代償がなく、見返りを求めないようなことならばお互いにとってプラスに働きますからね。
そういう心から与えるような貢献の精神というのは、ザ・シークレットにも書かれていた通りでぜひやるべきだと思います。
そして自己犠牲と心から与えるということ、それを勘違いしないということが何よりも重要かなと感じました。
これからは自己犠牲はせず、やるならば気分良く純粋に心から与えるということを積み上げていくようにしていきたいものです。